アンデス山中の旅はチョット命がけ!

第三話

標高3650メートル、ボリビアのラ・パスは世界最高所にある首都。空港は
さらにその上4080メートル、エル・アルトと呼ばれる台地の上にある。
海抜0メートルの砂漠に広がるペルーの首都リマから、4000メートル登りつめ
る旅を、20年前は陸路でやって来た。アンデスの山々は、この貧しきバック
パッカーを易しく懐に抱いてくれたのに・・・。「空からひとっ飛びでやって
来るなんて、山をなめるんじゃネェ!」酸素マスクをスーハーしながら眺めた
イリマニ山が、あっと言う間に雲にかくれたのは、雨季のせいだけじゃなかっ
たのかも。 再会を祝してビールでサルー(乾杯)の場面は、これでおあずけ
に。軽い高山病への対処法は、コカのお茶を飲む、頭痛薬を飲む、安静にする
など、いくつかはあるが、一番の特効は、下界へ下りる!これしかない。「マ
イリマシタ、出直シテキマス。」と、4日後、2560メートルの高原の町、
コチャバンバへバスで下りた。下りたと言っても、途中4600メートルの峠
まで登る。そして一気に、オアシスのように緑が増してくる快適な山道を下る
。その日の夕食は、ビール、メイン、デザートまで、4日分位すんなりいただいて
しまった。ついでに空気も4日分。酸素が体の隅々まで行き渡り、しぼんでいた
気持ちも、ムクムクとふくらみ、好奇心満タンの普段の私に戻っていた。
ヒョットしてこのダウンは、20年の歳月を、体が正直に反応した結果なのか
も・・・と、しばらく後で気がついた。

つれあいのフォルクローレバンドのド・テ・カボチャス

第四話

私のつれあいは、ここ5~6年フォルクローレというジャンルの音楽に、はまってい
る。聴くだけではなく、友人も誘ってバンド活動もやり始めた。泊まりがけでコンサート
に出掛けたり、何かのご縁で、TVに出たりもしている。
フォルクローレとは、スペイン語で民族のOOという意味で、音楽の世界ではアンデス
地方に発する歌や曲をさす場合が多い。演奏の為の楽器がほしい。衣裳がほしい、
やっぱり本場で生演奏が聴きたい・・・と、この所続けてボリビア、ペルー、エクアドル
のアンデス山中通いが再開した。
20年前、ケーナ(竹の縦笛)の音に惹かれてアンデスをめざす旅に出た私、ではあっ
たが、もともと音楽人間ではなかった。染織品や素朴な民芸品、絵画等には興味が
あって、名所・旧跡よりも、暮らしの中で今でもつくり続けられている物のある村々、
人々を訪ねることの方が多かった。
チャラサニ(ペルー国境に近い北ボリビアの山中の村)には、アワヨと呼ばれるアン
デスの高地に住む女性用のマント(アルパカ等の緻密な手織りの布)で、特に目を
引く真紅の地に、白や緑で鳥獣と縞模様を織り込んだ独特のものがある。いつか
、その村の風景の中で見てみたいと思っていた。 ところがこのチャラサニ村、急に
思い立って、フラリと行ける所ではないらしい・・・と分かってきて、益々興味がふく
らんできた。

耕して天まで登る(?)アンデス山中の村々

第五話

中南米をバックパックで旅していると、ガイドブック等見なくても、大体チョットした町
には彼等の集まる安宿があって、あらゆる情報を交換することが出来る。チャラサニ
へ何とか行く方法があるらしいと聞いたのも、そんなラ・パスのバックパッカー宿だった。
おぼろげな住所を頼りに、すり鉢状の街を登って行くと、坂の中腹位に路上市がゴチャ
ゴチャある細い石畳の通りに出た。周辺で尋ねると、週に数本、このあたりからチャ
ラサニ行きのトラックがあると言う。何と出発時刻は午前一時。ゲッ。何度聞いても
「シィーテンプラーノ(そう、早朝だよ)」。クラッとしながら一日考えた。
そこは立ち直りが早く好奇心満タンの私、さっそく旅支度を開始した。 その頃知り
合ったラ・パス在住の友人を訪ね、シュラフとコッフェルを借りた。テントを持って行け
と、宿を心配してくれるのを丁重に断って、思いつくだけの食料とトイレットペーパーを
ザックに詰め込んだ。 超低血圧、早起き苦手な私は、寝ずに深夜の坂を登った。
発着場所と見当をつけた辺りには、トラックはまだ来ておらず、チラホラと現地の人が
集まりはじめていた。そしてクソ寒い暗闇の中、待つこと2時間、午前三時をまわる頃
旅人でザッと一杯になった荷台に木の棚のあるトラックは動き始めた。
オープンカーでアンデス山中をドライブ、と言えばカッコいいのだが、外気温は氷点下、
雪山やチチカカ湖から吹きつける風は容赦なく、洟をすすりながら、シュラフを首の
所で結んで、蓑虫状態で荷台に転がっていた。インディヘナ(現地のオバチャン)達も
毛布にくるまり、身を寄せ合ってじっとしている。岩山、絶壁を何度も登り降りしながら
、何と15時間後、めざす村の灯りが谷底にチラチラ見えた時には、ホコリと洟とうれし
涙で、ほとんど皆親戚同士の顔になっていた。

サリーリの