山道を歩くと村人やリャマに出会う

第六話

フォルクローレには、ポピュラーな所で、「コンドルは飛んでゆく」とか「花祭り」等に
代表される世界的に知られた曲の他に、スペイン人が入って来る以前からアンデス
地方にあった伝承曲や、アウトクトナと呼ばれる笛と打楽器だけの素朴な曲もある。
その事は、最近つれあいとその周辺の仲間達から教わった。わかりやすく言えば
鎮守の森の祭り囃子の様な音色である。織物を見に来たチャラサニが実はアウトク
トナの盛んな所、又、薬草の宝庫である事は、知らないでいた。
ラ・パスから同じトラックでやって来た私を含めて7人の外国人旅行者は、村に一軒
しかない宿(実はアルマセン(雑貨屋)の2階なのだが)に全員泊まっていた。
地質調査のフィールドワークで来ていたベルギーの学生2人、カナダから休暇中の
カップル2人、バックパッカー宿で何度か見かけた南アフリカの青年と、これも市場等
で見かけた事のある買い付け人風イタリア男、それに日本から来たセニョリータ(私)
一人。 ガランとしたワンフロアに、ベットが10個足らず置いてあるだけの所。屋根
があるだけましか、位にしか思わない旅の強者共(つわものども)である。 日中は
山の中腹にへばりついてある村々を、其々が散策したり、ベットで本を読んだり、
調査に出掛けたりと行動はバラバラだったが、一度全員で村からずっと下った所
を流れるリオ・カマタ(カマタ川)へ行き川原で食事をした。 ヒョロリとしたイタリアーノ
が、パスタはまかせろ・・・と、スパゲティーカルボナーラもどき!を作り、残りは
サラダを何種類か作った。2,3日宿を共にして、大分気心も知れ始めたある晩、
今でも忘れられない情景に浸っていた。

祭りの日。手前帽子の人のマントはチャラサニ特有の毛織物

 

第七話

「セニョリータ、エスタビェン?」雑貨屋のセニョーラ(女主人)が、大声で2階に向かって
声をかけてきた「シー、シー、アスタマニャーナ」と私達、”ギーバタン”と戸の締まる音
がして全員2階に缶詰状態で、朝を迎える日々だった。 つまり、下は店なので、階下
とつながる唯一の階段は用心の為に下からカギで締められてしまうのである。その為
「お嬢さん達、トイレはいいかい」と一応念を押してくれたわけなのだ。後は、ベットの下
に一個づつ置かれた洗面器のごときオマルに頼るしかないというわけ。 「チョットマッ
テー」と、女性二人トイレットペーパーわしずかみで、戸口から2方向へ飛び出し、露天
トイレ?に走ったことも、2度、3度。こんな宿はさすがにここしかなかったので、一部
始終よーく思い出せる。一週間居て3~4ドルの宿だもんマッイイカ。
ランプの下、日記を書く奴、旅の話に盛り上がる者、本をかかえて爆睡する私(何しろ
昼間良く歩くので)、様々な夜。 そんなある晩、普段静かな村のどこからか笛の音が
聞こえてきた。「ウン?」皆、話を止めた。少しずつ近づいて来る。 「アレッ」一斉に
ベランダへ飛び出す。月のない闇の山の中腹あたり、太鼓のリズムと共に揺れながら
カンテラが下りて来る。村人達が10数人列を作ってジグザグ踊っているのが、ゆっ
くりと目の前の広場へ集まって来た。
ケーナとサンポーニャ(竹筒を並べた笛)とワンカラ(平たい太鼓)で奏でる、素朴
な音色。うわぁいいね。それぞれの国の言葉で、溜息がもれた。 染み入るような、
至福の時。その日、村のフットボールチームが優勝した事を、次の日知った。

湧き水で洗濯をするチャラサニの女性たち

第八話

チャラサニには八日間滞在した。長くなったワケは色々ある。
宿の窓から、小中学校の運動場が見下ろせた。「オーラッ・ヴェノスディアス」。
遊んでいる生徒達と声を掛け合っている内に、校長先生から母の日のイヴェント
に招待された。何と貴賓席、それも校長先生の隣の席。とっておきの郷土料理
に踊りや寸劇が続いた。 その日の主賓は、もちろん村のお母さん方。私は
チョット緊張の半日でした。緊張をほぐすには、たっぷりのお湯につかって・・・と、
そうここにはあったのです、露天風呂。アンデスの温泉。村はずれに歩いて5分
の所。昼間暇そうなチケット売りの少女とも友達になった。 洗濯物と本をかかえ
て通った。生け囲いのあるプールにお湯が流れ込む所で、泳ぎながら身体をほぐ
し、こぼれ湯で衣類を洗う。芝生の上に広げ、本を読みながらついでに体も干す。
これがアンデスの隠れ湯の正しい?過ごし方、入場料20円の贅沢なひと時。
又、宿の隣にグリンゴ(現地の人は白人男性のことをこう呼ぶ)が住んでいる。
訪ねてみようという事になった。テキサスの大学で人類学、特に南米のインディ
ヘナについて教えている人だ。民家の2階を借り、近在の村々を訪ね、昔から
この地域に伝わる薬草について書き物をしているという。 物静かで知的な人物
。アンデスの山懐(やまふところ)、人知れず一つの事に集中して暮らすその姿
に、憧憬と嫉妬に似たものを感じた。リャマの干し肉と少しの青菜を煮込んだ
おかゆを御馳走になる。その味は、今でもその時の感情と共に思い出す。
チャラサニの取って置きはまだある。リオ・カマタの上流から流れてきたケーナ、
私のアンデスの忘れ形見、歳を重ねるにつれ、チャラサニは「マイ、フェバリット
プレイス」の色を濃くして行く。

サリーリの