色とりどりの野菜があふれる路上市場

第12話

庶民の台所メルカードは、そのままバックパッカーのキッチン兼ダイニングにもなる。
所によっては、東京築地あたりの食堂のうまさに匹敵すると私は思うのだが、アンタ
の胃腸は人並みじゃないからねとか、人をモンスター扱いする輩(やから)が、大体
肝炎とか、腸チフスとかで入院したり、寝込んだりしていた。倒れた友人を看病しな
がら、一度もひどい下痢になったことのない私は、やっぱり怪物?せめて順応性が
抜群!とか、言って欲しいな。 それはともかく、南半球を旅をして嬉しいことは、
果物が豊富なこと。南米も国内に亜熱帯地域を有する国々が多いことから、ナラン
ハ(オレンジ)、パパイヤ、何種類ものバナナ、チリモヤ、ペピーノ、マンゴ等その色
や香りで市場はむせかえるようだ。現地通貨で一ドルも出すと、デイバックいっぱい
のナランハが買える。
ご存知のように、アンデス地方を原産とする野菜も数々ある。何と言っても、じゃが
いもの種類は圧巻だ。百種類とも三百種類とも言われている。黄色で小ぶりなイモ、
赤い外皮で中身が黄色いイモ、白いものでも大小様々、味もそれぞれ少しずつ違う。
高地の寒暖を利用して作られた乾燥イモ”チューニョ”は、戻してスープに入れると
甘味があって、保存食として珍重されている。
スペイン人が略奪したもので一番の宝は”金”ではなく、ヨーロッパの飢餓を度々
救った種イモだった、という話は、何だか自分のふる里がほめられてるみたいで嬉しい。
他に、トマト、トウモロコシ、トウガラシ類、カボチャと、私達が毎日食べているものも、
元はと言えばアンデスから来ている。
毎年、上富良野でトウモロコシやカボチャを作っている我が畑も、長い時・空間を
経て地球の裏側とつながっているんだなぁと思うと、感慨深いものがある。

ポトロ村への道すがら、赤茶けた風景也

第十三話

大勢の人の気配で目が覚めた。武者震いしつつ暗闇に目を凝らすと、焚き火を囲む
人々と荷をつけたロバがシルエットで浮かんで見えた。あとで分かったのだが、ポトロ
村からスークレの町へ向かう商隊が、未明に暖をとりながら小休止をしていたのだ。
前日私は、そのポトロ村目指してトラックでスークレをを発った。25キロメートル先
のブニーリャ村で下り、急坂を左右にジグザグあえぎ登り、夕暮れ間近に見つけた無人
の教会のそばのワラ小屋に一泊した。 今でも、その夜見続けた降りそそぐ星の空は
忘れられない。 二十歳の夏歩いた、山形の六十里越え街道の星空と、三十歳の夏
モロッコとアルジェリアの国境の兵舎の庭で寝転んで見上げた砂漠の夜空、怖い位に
近い無数の星のシャワー。声もなかった。後にこれらは、私の三大星の空に輝いてい
る。
「ヒェーン、ブルブルル」強烈な朝告げロバのお陰で、すっかり早起きしてしまった私は
ザックを背負い直し、ひどい石ころだらけの道を歩き出す。人気のない乾いた山道、
少々情けなくなり始めた頃、砂ボコリの中大型ジープが追いついて止まった。ポトロ
村の分校へ、月に一回交代勤務へ向かう先生2人が乗っていた。思いがけないヒッチ
ハイクで、三日かかるところ、二日目の夕方村に着くことが出来た。同じ道を帰路歩く
下見も出来たし、ラッキー!先生方の口利きで、分校の体育庫に宿も決まった。
ベットは体操用のマット、周りを飛び箱、平均台等で囲みチョットした個室が一丁あが
り。途中、ジープで立ち寄った、桃源郷のような川畔の村を思いながら夢の中へ。

庭で麦を天日干しする農婦。独特な模様と形の民族衣装と帽子は普段着

第十四話

数千年の歴史を持つアンデス文明の遺産は、ペルー、リマのムセオ・アマノ(天野氏
個人博物館)へ行くと各地の土器や織物が、見事に整理され、他の文明にも全くひけを
とらない水準にあったことが良くわかる。 特に染織布の好きな私は何日通っても見
飽きない程の種類と質の高さに魅了されっぱなしだった。 現在のアンデス高地に住む
インカの末裔達、つまりおばちゃん達が織る毛織物が、何故あんなに緻密で、色彩
豊かで、ユーモアタップリな模様で、今も織り続けられているのかの疑問が解決する。
ポトロ村にも、黒地に赤でチョットシュールな鳥獣が織り込まれたマントがあり、私に
三日間歩く決心をさせた布である。 ここは乾いた盆地で、学校を除くと目立った建物
はなく、アドベ(ワラと粘土で手作りされた日干しレンガ)を積み上げて出来た典型的
な農家が散在していた。
五月初旬の村は収穫に忙しい日々だった。麦・トウモロコシ等が主なものだ。農作業
は家族総出でかかるらしく、パンの焼けるいい臭いにつられて覗いた一軒の農家の中
庭は、子供含めて十数人がお昼ご飯の真っ最中だった。焼きたてのパンをわけて
もらい。一緒に食べていくかい・・・と、アツアツのスープもご馳走になった。大粒の
トウモロコシ、チューニョ、キヌアに少しの肉と香草がチョットトロリとした、こくのある
シチューだ。山積みされたワラに腰掛けて、見も心もあたたまる山里のランチでした。
そんなワケで、村中歩いて織物をしていたのは、赤ん坊のお守をしながら、腰帯機
で毛織布を織っていたおばあちゃんが一人。クチックチッ(ケチュア語で汚いの意)
と仔豚がまとわりつくのを追いつつ軒下で手を動かしていた。スペイン語は
ヴェノスディアス(こんにちは)以外は通じなかった。


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サリーリの