ハンモックでお昼寝の坊や(ウカヤリ川、コンタマーナ村)

第十八話

私の旅の基本パターンは、食う、寝る、歩く。もちろん時と場所を移動しつつ、内容
は変化するが。その変化の落差が大きい程、楽しみも増すというものだ。それに、
もう一つ付け加えるとすれば、快く出す!これが結構、旅の楽しさを左右する。
アンデス地方、思い出に残るお気に入りベスト3を、あげてみたい。
その1.ペルーアマゾン支流、ウカヤリ川を訪ねた時の民家のトイレ。リマから、
六千メートル級のアンデス越えをし、、バスは一昼夜かけて、ジャングル特有のムッ
とする暑さのプカルパという町に着いた。ここから又、一昼夜をかけて、コンタマーナ
サンフランシスコ等の川岸の村々へ向かうべく、米の運搬船に便乗した。 夜間
蚊柱に襲われながら砂洲で過ごし、やっとたどり着いた村の民家でトイレはあるか
・・と尋ねると、意に反してアレがそうだと指さす。背の高い林のの中、木で組まれた
小さな高床式の小舎が見えた。小走りで近寄るとあたりからザワザワと小動物が
動く音がした。かまわず階段をかけ上がり、恐々(こわごわ)木戸をあけた。森に
隠れ家を作ると、こんなかな・・・という手作り風の床に、唯々穴が開いていて、まぶ
しい光がさし込んでいた。 まあ決まった場所があるだけでも”御”の字と、ズボンに
手をかけた時、下の方が騒がしくなった。そのままの姿勢で恐る恐る唯一の穴をのぞ
く・・・そこには、多産系ブタさんの一家がまるで笑みを浮かべたように、大小の鼻を
上に向け、何かを待っていたのでした。
トホホ・・・なすべきか、なさざるべきか。


バスがオーバーヒートして、水汲みをした時見かけた
最も高地に住む、野生のビクーニャ。

アイキレ村(ボリビア)

第十九話

お気に入りのトイレその2. アンデス山中の水洗トイレ。
クスコからマチュピチュ遺跡へ行く列車は、途中オジャンタイタンボという所に止まる。
当時、ホームはなく直接地面へ飛び降りた。数分歩いた左手に小さな橋があり、
人家へ入る木戸が見えた。 そこはフランス系カナダ人のカップルが、古い農家を
買い取って、バックパッカー宿をやっていたのだ。紹介したいものは、そこの離れ
にあった。広い敷地の真ん中あたりが、生垣でしきられていて、それに沿って裏山
(アンデス)の雪どけ水が清冽(せいれつ)に走っていた。 上手(かみて)に洗い物を
する場所があり自炊も出来る。下手がドンズマリの塀を壁にしてトイレがあった。
石を積み上げて出来た小舎の木戸を入ると、木枠の窓があり、以外と中は明るか
った。中に溝が掘ってあり、「く」の字に走り続けるアンデスの水。初めて入った時
は、ニンマリとしてしばし使うのを忘れて見入ってしまった。 この水が、まずアマ
ゾン支流の最奥にあたるウルバンバ川へ注ぎ、やがて6300キロを経て大西洋
へ注ぐか・・・と思うと、またニンマリしてしまうのだった。
その3. 96年11月ボリビアのアイキレで、チャランゴ(弦楽器)フェスティバル
を参観した後、スークレからヤヤグアへ、つれあいとバスの旅をした。この行程は、
その地に詳しい友人達に「絶対にすすめません。100回死に場所がありますよ」等
とおどかされていた場所だ。 ノルテポトシ地方の風景と生活の一端でも垣間見れ
ればいいではないか・・・長距離バスの旅は、割りに好きな私は、敢えてこのコース
を選んだ。17回まで数えてやめてしまったが、これは川床をオンボロバスで渡った
回数だ。 ボロボロと崩れる崖も幾度となく通り、窓の下に道が見えない・・・なんて
こともしばしば。でも羊飼いやアルパカ、ビクーニャの群れにも会えたし、山間の
村々のたたずまいも面白かった。行程の3分の2あたり、マチャという村でトイレ
タイムがあった。珍しく「バーニョ・プブリコ(公衆トイレ)」があると聞き、走った。
入口で小銭をオジイちゃんに渡し、30センチ位のペーパーをもらう(ヒェー、
イッチョマエヤナー)と中へ入って2度びっくり、座ってやっと隠れる位のコンクリ
ートの仕切りが並んで、オバチャン達が顔をいこっちに向け「こんにちは」状態。
「コンペルミッソー(失礼します)」と一番奥へ。仕切りの間におさまって見て又
びっくり。足の下は千尋の谷、底が見えない。

サリーリ店内の様子

2001年冬のサリーリから。

第二十話(最終回)

アスタ、マニャナ(あしたまで=直訳)の国の山里の日々。 実は内緒なのだが、
旅する前は”アスタ、マニャナ”というスペイン語は、のんきで陽気なラテン気質の
人々が”明日は明日の風が吹く”・・・と、又は”明日になれば”と、今日の憂さを
やり過ごす日々を送っている・・・というような、勝手な解釈をしていた。それでも
あんなにポジティブにキラキラと生きている人々の中に、何か未知なるメッケモン
があるんじゃないかと、私流のんきな自分探しの旅であったように思う。
帰国後、国内に住むんだったら北海道と決めていたが、つれあいと2人、東京を
振り出しに、日本を南下し沖縄へ行った。 お互いの友人、知人、親族を訪ね、
さながら移動披露宴のような二ヶ月間だった。 富良野の地で農業を始めて12年
。3年前、畜産の仕事をやめて、又、旅の出来る身となった。ネパール、インド
ネシア、中南米諸国と出掛ける内に、買い求めた染織品、民芸品等を展示販売
する小さな店を、週末の二日間のみ自宅の一室で開いた。それが「サリーリ」の
始まりだった。今は、春から秋にかけて、チョット自慢の広いテラスから丘の風景
と大雪、十勝の山並を一望しながらお茶を・・・というスペースも出来、月に一度
開くコンサートも、沢山の方々に丘の上まだ足を運んでいただいている。
農業だけでは出会うチャンスのない方々と知り合えたり、「サリーリ」を中心に
少しずつつながりが広がって行くのを感じられるのが嬉しい、今日この頃だ。
因(ちな)みに、店の名「サリーリ」とは、アンデスに住むアイマラ族の言葉で、
「旅人」という意味だ。
「アスタ、マニャナ」それは、「明日はわからない人々の、それでも今日は精一杯
に・・」と言う、私なりの解釈も一つ加わり、20年此の方私を励まし続けている。
「エッ、アンデス以外の話も聞きたいって?」
「どうぞいつでも、続きはサリーリで。バリ・コピでも入れて待ってます」。
チャオ!チャオ!アスタ・ラ・ビスタ!ムティシマス、グラシアス。


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